コンローの梵鐘鋳造あるいは西湖の金牛伝説
ベトナムのリー朝時代にコンローという大男がおりました。
コンローは余りに遅しい体格していたので、地元のカたちは皆恐れおののき、誰も試合を挑もうともしませんでした。彼は若くして仏門の修行に出て天下を周遊しましたが、いつも想像つかないほど重い鉄棒と不思議な頭陀袋を持っていました。頭陀袋は見た目は普通でしたが、いくら大きくてかさばる物でも入るし、いくら沢山のものを入れても一杯になりませんでした。
その頃、王様は寺院で祀る物を鋳造するためにたくさんの銅を必要としていましたが、ベトナムには原料になる黒銅がありませんでした。コンローのことを伝え聞いた王様は、僧を首都へ呼んで、黒銅の寄進を求めに中国へ行くよう命じました。コンローは王様の命を受けるとすぐに頭陀袋を持って、北へ向かいました。
コンロー師は何日も山を登り、渡河した後、ようやく中国の部にやってきました。巨人の僧侶が調見するのを見た中国の王様は驚いて尋ねました。「和尚はどちらから何のためにお越しになられたのか?」コンローは、「私は大越から参りました。国で仏教を広めるため、いくばくかの黒銅を陛下にお恵み頂くために参りました」と答えました。中国の王様は彼がどのくらいの人を引き連れてきたのかと思い、「貴国はどのぐらいの黒銅を必要とされておられるのか、和尚は何人の弟子を連れてこられたのか」と聞きました。
コンローは頭陀袋を挙げて、「拙僧は一人で参りました。この袋一袋分頂ければ十分です」と王様に伝えました。その小さな頭陀袋を見た中国の王様はほくそ笑んで、「和尚様には黒銅 100袋分でもと考えていたので、たった1袋で宜しいということであれば喜んで差し上げましょう。」と言いました。王様は臣下を呼んで、国庫係に命じてコンローに好きなだけ銅を持たせるよう告げました。 国庫係とコンローは、国庫の前にある大きな庭園を通りました。庭にはレンガ造りの土台の上には、一軒の家位の大きさの目が眩むほど光り輝く金牛の像が置かれていました。国庫 係は、その金牛を指さし、コンローに「この金牛も持っていきますか?」と冗談を言いました。「いえいえ、少々の黒銅だけで十分でございます。」とコンローは答えました。 さて、コンローは頭陀袋に、国庫にあった黒銅を全部入れましたが、まだまだ袋には余裕がありました。一段落すると、黒銅の入った頭陀袋を棒の一端にかけて担ぎ、帰国の途につきました。
国庫係は黒銅を全部持っていかれてしまったことに気づき、すぐに中国の王様に報告しました。王様はこのような驚くべき事態を想定していなかったので、大いに後悔し、500人の兵土にコンローを追いかけさせました。その頃、肩に重荷を担いでいるにもかかわらず、僧はすでに300里も進んでいました。丁度広い川にたどり着いたとき、後ろで大きな叫び声がしたので、振り返って見ると、ほこりが空に舞い上がっており、中国の王様の兵士がそこまで迫ってきたことに気づきました。コンローは急いでかぶっていた笠を川におろし、頭陀袋をその上に乗せて押しながら泳いで渡り始めました。中国の兵士たちが岸に着いたとき、コンローはすでに広い川の真ん中あたりを泳いでいました。兵士は、「和尚様、お待ちください!、皇帝からあなた様を護衛して黒銅を運ぶ手伝いをするよう言われて来ました!」と嘘をつきました。コンローは「皇帝には、愚僧よりの感謝の気持ちをお伝えください。この頭陀袋は、お手を煩わせるほどのことはありません。私にお任せください」と返事しました。兵士たちはそれを聞いて、もはや追いかけても無駄と悟り、一斉に引き返していきました。
コンローは岸に沿って南に歩いて行きました。河口で大越に向けて出航しようとしている大きな船を見つけたので、桟橋に頭陀袋を置いて、船主に乗せてくれるよう頼みました。船主は僧一人が頭陀袋を持っているだけなので、船の重さに影響しないと思い、親切に乗せてくれました。
ところが、船頭が船に積もうとすると、頭陀袋はこの世のものとは思えぬほど重いものでした。二人目が助けに来ましたが動かせず、三人目、四人目、やがて全員が一緒に動かそうとしましたが、コンローの頭陀袋はぴくりとも動かず、皆首を横に振るばかりでした。コンローは船から降り、「拙僧が自分で運ぶから、気にしないでください」と言いました。すると、驚いているみんなの目の前で、片手で頭陀袋、もう片方の手で笠と鉄棒を持って、船に乗り込みました。
船が重くなり過ぎ、両舷が水面ぎりぎりとなったので、皆怖くなって、誰も錨を上げようとしません。「恐れることはない。絶対この船を沈めさせませんよ。」とコンローが声を出しました。
船は順風満帆に水を分けて進んでいきました。しかし、数日後、激しい嵐が発生しました。口が火のように赤く開いた百丈もの長さの大 ムカデが海の中で暴れ、今まさに棒立ちになって船を飲み込もうとしていたのです。揺れ動く船に乗った人々はとても法えました。「みなさん、じっと座って!この怪獣は私が退治してやる!」と大声でコンローが言いました。
言い終わるや否や、コンローは船首に立ち、ちょうどそこにあった大きなかぼちゃを、ムカデの口に投げ入れました。ムカデがそれを呑み込んだとたん、コンローは海に飛び込み、棒でムカデを打ちました。ムカデは逃げきれず、骨が折れ、身は三つに割れて、三つの島と化しました。すると、海はすぐに穏やかになり、船は一気に大越に戻って来ました。
都に戻ると、コンローは王様にお目に掛かり、いきさつを全て報告しました。王様は僧に、黒銅を使って、民が優めたたえ、未来まで引き継いでいけるような仏教の宝物を四つ鋳造するよう命じました。、コンローは全国から多くの熟練した鋳工を呼び出し、頭陀袋から黒銅を取り出して、四つに分けました。最初に、「報天塔」と呼ばれる九重搭を鋳造させました。出来上がった報天塔は都の真ん中に高くそびえたち、どこからでも見えるほどでした。それから、高さ六丈の仏像と、十人で抱えるくらいの大きな県を鋳造させました。それでもまだ沢山の黒銅が残ったので、コンローは大きな梵鐘を鋳造してもらいました。完成した
梵鐘は非常に大きく、初めて突き鳴らした時、その音はあちこちに響き渡り、何と中国にまで届きました。
そのとき、中国の王様の黒銅倉庫の前に横たわっていた金牛は、響いてきた梵鐘の音を聞いて生き返りました。そもそも「黒銅は金の母」なので、梵鐘の音を聞いた金牛は自分の母親が大越にいると分かり、すぐに立ち上がって、誰も止められないほど一気に大越に走りました。とうとうコンローが鋳造させた梵鐘にたどり着くと、長く接吻したあと、そばに横になりました。
そんな思いがけないことが起こったのを見て、コンローはこのまま梵鐘を鳴らせば、そのたびに世界中の金がここに集まってきて、他の国々の敵意を呼び起こす危険があると思いました。そこで、王様に、悲惨な戦争が起こらないように梵鐘をどこかにに捨てることを進言しました。合理的な言葉を聞いた王様はすぐに同意しました。その日、コンローは梵鐘を持って山の頂点に立ち、西湖に投げ込みました。梵鐘は湖の真ん中に飛び込み、大きな音を発しました。
その音を聞いた金牛はすぐに母親を追いかけ、湖に飛び込みました。それ以来、静かな時には、梵鐘の竜頭が湖の水面に浮かんでいるのが見えると言われています。金牛も時々湖畔を歩いていますが、人の姿を見かけると、すぐに湖に飛び込むそうです。この話から、西湖は「金牛湖」とも呼ばれています。また、コンローは、鋳造の神として鋳工に崇拝されるようになりました。